FUTURE DESIGN(ELEVATOR NEWS) 2005 vol.3

 
 

資料提供 市立函館図書館所蔵の「絵はがき」より

 昭和11年ごろの函館十字街は、函館市の中心街として賑わいを見せていた。
函館十字街を含む当時の中心市街・西部地区だけでも人口10万人を擁する大都市であった。
一方、現在の函館・西部地区の人口は約2万5000人。空地、空家がかなりの部分を占め、高齢化も進んでいる。
この函館・西部地区を活性化させ、都市再生を目指すためには何が必要なのか。
本誌は函館・西部地区都市再生プロジェクトチームを結成し、2015年にLRT(路面電車)を活用したハコダテ・スローモールとハコダテ・ヒルサイドエスカレーターの構築を基軸に、函館・西部地区を高齢者にやさしい街、観光客がゆっくり歩きたくなる街へと変貌させる都市再生プランを提案する。
 津軽海峡を隔てて青森市と対峙する函館市は、東部は横津岳、袴腰岳などの山地、西部は函館平野からなり、中心市街は函館湾に突き出た函館山の麓から扇形に広がる砂州上に展開している。
 古くはアイヌ語で〈ウスケシ(入江の端)〉、〈ウショロケシ(湾内の端)〉と呼ばれていたが、15世紀の半ば、亀田郡の領主・河野政通が築いた館の形が箱に似ていたことから「箱館」と呼ばれるようになった。現在の「函館」の表記が使われるようになったのは、1869年からである。
 函館港はその形から巴(ともえ)港とも呼ばれる天然の良港として古くから知られていた。17世紀末からコンブ採取や出漁者の増加により、近在や内浦湾沿岸部の産物の集荷地として急速に成長した。1859年の開港後は北海道の要となる国際貿易港として発展し、アメリカ、イギリス、ロシアなどの領事館も設置された。
 「ペリー来航以来、函館は150年余にわたり近代都市として歩んできました」と語るのは、函館市出身で、著述活動のかたわら、デジタルメディアや情報デザインに関する各種の調査研究に従事する渡辺保史氏だ。
 「函館市には函館山麓とベイエリアの”西部地区“に歴史的建造物群が多数現存し、それらの大部分が保存・活用されています。今日の建築や都市デザインの分野で脚光を浴びるリノベーションの先進地でもあったのです」
 函館市は、明治期の和洋折衷様式建築・旧函館区公会堂(重要文化財)、開港場商家の太刀川家住宅店舗(重要文化財)、市街地北部の五稜郭跡、湯の川温泉、トラピスチヌ修道院など、歴史的建造物や観光資源には事欠かない。しかし、西部地区は、観光エリアとしての圧倒的な知名度の反面、生活圏としては弱体化の一途をたどっている、と渡辺氏は指摘する。
 「この四半世紀で西部地区の居住人口は5万人から2万5000人へと半減し、高齢者率が市内全域よりも高く、空家、空地も増大しています」

   
末広町の往来。歩道を行く女性のような、洋装を颯爽と着こなし「モダーンウーマン」と呼ばれていた人々が大勢集まっていた。奥に見える正面が丸い建物は丸井今井百貨店。 停車場前。 十字街の市電停留所から交差点を見る。
■各画像をクリックすると、現在の市街風景と比較できます
 資料提供 市立函館図書館所蔵の「絵はがき」より   
  ■2005年現在の函館山からのパノラマ
 クリックすると、パノラマを表示します
 (要:QuickTimeプラグイン)

 変貌する函館市の歩みを、もう少したどってみよう。
 1908年の青函連絡船の就航により、函館は本州・北海道連絡の拠点、千島・カムチャツカなど北洋漁業の基地として発展した。1920年代後半には東京以北の最大の国際都市、港湾都市と呼ばれるまでになった。戦後は北海道、東北の中核都市として、水産業、造船業などを中心に栄えたが、1970年代後半以降両業は衰退の道をたどることになる。
 もとより、函館市は、函館山からの夜景、新撰組副長として幕末に活躍した土方歳三の終焉の地でもある五稜郭、そして海の幸を堪能できる函館朝市と、観光地としては全国区で名前を知られていた。1980年代後半より歴史的観光資源の開拓に注力し、1991年には年間約500万人の観光客が訪れるようになった(現在は年間約530万人を推移)。古くから栄えた貿易港であるだけに、函館山麓とベイエリアの「西部地区(歴史的街並みエリア)」には、歴史的建造物群が多数現存する。それらの多くが観光資源として保存・活用され、函館の観光地としてのブランディングには一定の成功を収めたといえる。
 しかし、リノベーションの先進地でもあった西部地区は、観光エリアとしての圧倒的な知名度を得る一方で、生活圏としての街は、活力を急速に失っていった。その背景には、新都心の五稜郭周辺、さらにその郊外へと急速に生じた函館市の人口移動がある。1980年代後半以降、函館市の人口重心は急速に郊外へと移動していったのである。
 「このままでは、観光エリア以外はゴーストタウンも同然との危機感が行政や街づくりの関係者にはあります」と、建築家で「はこだて街なか研究会」(NPO法人化申請中)会長・山内一男氏は語る。函館市は居住人口減少と高齢化に歯止めをかけるため、「西部地区まちの将来像会議」の設置など、さまざまな施策を展開している。「住みやすい街、住みたくなる街への再生」をキーワードに、西部地区の活性化を目指す市民レベルの新しい動きも活発になっている。山内氏も「ハコダテ・スミカプロジェクト」や「ハコダテまちなかオープンスクール」など、西部地区の魅力や活性化を考える集まりで研究発表やイベントを企画してきた。
 「2004年に実施した『西部地区に大学生が居住する可能性について』のアンケートでは、約4割の学生が西部地区に住んでみたいと回答しています」と山内氏は期待を込めて語る。「暮らしたくなる街」としての魅力向上や、住まいとしてのモチベーションを喚起させることはもちろん、都市生活の当たり前の利便性や快適性を併せ持つことが不可欠になっているのである。さらに言えば学生を含めた「生産」「創造」の機能の付加が、西部地区再生のポイントになるだろう。
 そこで、渡辺氏と東京大学国際都市再生研究センター特任研究員の太田浩史氏、東京大学大学院院生の福島慶介氏の協力を得て、新幹線開通予定の2015年を目標に、函館・西部地区再生プランを立ててみた。中心となるのは、都市公共交通のリデザインとともに、長期滞在型の観光への移行を促進する「ハコダテ・スローモール2015プロジェクト」である。


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